「20世紀デザイン切手」シリーズ第4集郵便切手のデータ
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箱根駅伝始まる | ゴンドラの唄 |
関東大震災 | |
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マンガ「のんきなトウサン」 | マンガ「正チャンの冒険」 |
タンチョウ | 甲子園球場開場 |
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| 無声映画全盛 |
無声映画全盛 | モダンボーイ・モダンガール |
名称 | 20世紀デザイン切手シリーズ第4集 |
発行日 | 平成11年(1999)12月22日(水) |
料額 | 80円 8種 50円 2種(無声映画全盛) |
発行数 | 7,000万枚(10種連刷・各700万枚) |
意匠 | 箱根駅伝始まる | ゴンドラの唄 |
関東大震災 | |
マンガ「のんきなトウサン」 | マンガ「正チャンの冒険」 |
タンチョウ | 甲子園球場開場 |
| モダンボーイ・モダンガール |
無声映画全盛 | 無声映画全盛 |
印面寸法 | 縦36.5mm×横28.05mm |
版式・刷色 | グラビア6色 |
シート構成 | 10枚 シート画像 |
総合デザイン | 森田 基治(郵政省・技芸官) |
初日印指定局 | 札幌中央郵便局 |
発行する切手の意匠等
- 「20世紀デザイン切手」シリーズについて
郵政省では、我が国の20世紀を象徴し、21世紀へ向けて、夢と希望のある題材を、芸術、スポーツ、科学・技術、世相等の各種ジャンルにおいて楽しいデザインのシリーズ切手を発行します。
- 切手の意匠について
- 箱根駅伝始まる
1920年(大正9年)2月14、15の両日、「第一回東京箱根間往復大学駅伝競走」(現在通称:箱根駅伝)が開催されました。この時の参加は東京高等師範、明治、早稲田、慶応の4校であったことから、当時の大会名は「四大校駅伝競走」で、東京高等師範が15時間5分16秒という記録で優勝しました。
(写真資料提供:(株)陸上競技社)
- ゴンドラの唄
芸術座第5回公演「その前夜」の劇中歌として、作詞(「命短し恋せよ乙女〜」)を吉井勇、作曲を中山晋平が手がけたこの曲は、叙情的な歌詞と哀調を帯びた旋律でヒットしました。また、レコード化されたことから蓄音機の普及とも重なって1920年(大正9年)に大流行し、大正時代を代表するメロディーとなりました。
(資料提供:中山晋平記念館)
(jasrac 出 9913312-901)
- 関東大震
1923年(大正12年)9月1日、関東地方を襲った大震災。震源地は相模湾の伊豆沖約30kmで、震源の深さ15km、マグニチュードは推定7.9と言われています。家屋の倒壊に加えて、各所で火災が発生したこともあり、死者・行方不明者14万人以上、全壊・流出・全焼家屋は50数万戸以上にのぼる未曾有の大災害となりました。
(写真提供:共同通信社)
- マンガ「のんきなトウサン」
1923年(大正12年)、新聞連載漫画として「のんきなトウサン」は始まりました。新聞社の漫画記者だった原作者・麻生豊が「関東大震災の被災者の心を慰め、社会を明るくするような漫画を」という社命に応え、連載が始まったもので、現在の新聞の4コマ漫画のスタイルを確立しました。
(資料提供:麻生豊画伯「のんきなトウサン」資料館)
- マンガ「正チャンの冒険」
1923年(大正12年)に新聞連載が始まった「正チャンの冒険」は、少年がリスをお供に従え、陸海空を駆けめぐる冒険ファンタジー漫画です。織田小星(信恒)作、東風人(樺島勝一)画の作品で、主人公の少年がかぶっている帽子が「正チャン帽」と呼ばれて流行するほどの大人気となりました。
(資料提供:川崎市市民ミュージアム)
- タンチョウ
赤い頭頂部が特徴のタンチョウは、明治期に入ってからの濫獲等により、一時期は絶滅したと考えられていました。しかし、1924年(大正13年)釧路湿原にわずかながら生息が確認されたため、生息地が禁猟区に指定されました。1952年(昭和27年)特別天然記念物に指定され、現在は約700羽の個体が確認されています。
(協力:環境庁・文化庁)
- 甲子園球場開場
1924年(大正13年)、アメリカのヤンキースタジアムなどを参考にして、第10回全国中等学校優勝野球大会に間に合うように建設され、この年のえとにちなんで甲子園大運動場と名付けられました。打ち放しの外壁に絡ませたツタは、現在では阪神甲子園球場の象徴になっています。
(写真提供:朝日新聞社)
(写真資料提供:阪神電気鉄道(株))
- 無声映画全盛
1925年(大正14年)頃、欧米の風俗が盛んに移入される中で、弁士や伴奏音楽付きの活動写真(無声映画)が人気を集めました。尾上松之助、阪東妻三郎ら映画スターが誕生し、その後の日本映画の基礎が形成されました。
(写真提供:マツダ映画社)
- モダンボーイ・モダンガール
大正の終わりから昭和初期にかけて、欧米の風俗や文化に魅せられたモダンボーイ・モダンガールと呼ばれる若者が登場しました。女性は断髪に洋装、男性は山高帽にロイドめがね、裾の広いズボンが流行の最先端となりました。これらはその後の昭和のファッションベースとなっていきました。
(写真提供:朝日新聞社)
- シート余白部分
版画「銀座風景」(部分)
(昭和2年資生堂発行の「御婦人手帳」に掲載された版画)
(資料提供:資生堂企業資料館)
初日用通信日付印
手押し 記念押印機
この切手の情報は郵政省の報道発表資料を参照して作成しました。
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