世界遺産シリーズ第10集郵便切手のデータ

   

名称 世界遺産シリーズ第10集
発行日 平成14年(2002) 12月20日(金)
料額 80円 10種
発行数 3,000万枚(10種連刷・各300万枚)
意匠 玉陵       園比屋武御嶽石門 
今帰仁城跡    座喜味城跡    
勝連城跡     中城城跡     
首里城跡 歓会門 首里城跡 正殿  
識名園      斎場御嶽     
印面寸法 縦33.5mm × 横25.0mm 縦33.5mm × 横25.0mm 
縦34.7mm × 横26.2mm 縦33.5mm × 横25.0mm 
縦33.5mm × 横25.0mm 縦33.5mm × 横25.0mm 
縦33.5mm × 横25.0mm 縦33.5mm × 横25.0mm 
縦33.5mm × 横25.0mm 縦33.5mm × 横25.0mm 
版式・刷色グラビア6色
シート構成10枚   シート画像
写真撮影 麻賀 進 (写真家)
(株)東亜フォトニクス
はてるま こう(写真家)
デザイン森田 基治(技芸官)
初日印指定局那覇中央郵便局



発行する切手の意匠等

  1. 世界遺産シリーズについて
     人類共通の文化遺産及び自然遺産の国際的保護を図る目的で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき登録された我が国の世界遺産については、平成5年に登録されたものを題材として平成6年に「世界遺産」シり一ズ切手を発行しましたが、今回、平成6年以降に登録された世界遺産について新たなシリーズ切手を発行します。
     
  2. 琉球王国のグスク及び関連遺産群について
     世界遺産シリーズ第10集では、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」をデザインします。
     これらは、琉球が琉球王国への統一に動き始める14世紀後半から、王国が確立した後の18世紀末にかけて生み出された、琉球地方独自の特徴を表す文化資産群で、重要文化財2棟を含む次の9つの資産が平成12(2000)年12月に世界遺産に登録されました。
     1.玉陵 2.園比屋武御嶽石門 3.今帰仁城跡 4.座喜味城跡 5.勝連城跡 6.中城城跡 7.首里城跡 8.識名園 9.斎場御嶽
     この時代の琉球においては、14世紀前半に沖縄本島に成立したと考えられている三山(中山、南山及び北山)の三王国がありましたが、1429年に尚巴志がこれらを統一して琉球王国を樹立し、首里に王府を置きました。
     この琉球王国の王統は、王国を樹立した尚巴志の系統である第一尚氏王統と、1469年に第一尚氏王統7代王の尚徳に代わって王位に就いた金丸(のちの尚円)の系統である第二尚氏王統の二つがあり、王国は、明治政府による1879年の沖縄県の設置によりその歴史を閉じました。
     世界遺産シリーズ第10集では、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」をデザインします。
     これらは、岐阜県大野郡白川村荻町並びに富山県東砺波郡上平村菅沼及び同郡平村相倉の3つの集落からなりますが、標高2,702mの白山の東に広がる険しい山岳地帯、日本有数の豪雪地帯にあって、この地域の中央を南から北に流れる庄川上流沿いに形成された段丘面に立地し、岐阜県側は白川郷、富山県側は五箇山と称されています。3つの集落を合わせて平成7(1995)年12月に世界遺産に登録されています。
     「合掌造り」は、叉首構造の切妻屋根とした茅葺きの家屋で、一般の民家と比べて規模が大きく、屋根の勾配が急傾斜となっています。それらは、大家族制度による生活や養蚕等の用に供するために屋根裏の空間を大きく取る必要があったことによるものであり、屋根裏を2層から大きなものでは5層程度に造ることで効率的な利用が図られています。また、そびえ立つような大きな三角形の妻面を見せる家屋が群となって並び立つ集落景観は、他の地方には見られない独特のものです。

    1. 玉陵:石獅子 
       玉陵は、第二尚氏王統第3代王の尚真(在位1477年〜1526年)によって1501年に築かれた第二尚氏王統の陵墓で、重要文化財に指定されています。石獅子は、墓室の中央及び両脇の塔上に、3基据えられています。
    2. 園比屋武御嶽石門 
       園比屋武御嶽石門は、尚真によって1519年に創建された石門で、門の背後の樹林地は園比屋武御嶽と呼ばれる聖域です。重要文化財に指定されています。
    3. 今帰仁城跡:城壁とヒカンザクラ 
       今帰仁城は、三山時代に北山を治めた国王の居城で、1416年に北山が中山によって滅ぼされた後には、琉球王府から派遣された北山監守の居城となりました。
       また、今帰仁城跡は、日本一早く咲くサクラであるヒカンザクラの名所です。
    4. 座喜味城跡:石門 
       座喜味城は、1420年代に有力な按司(政治的支配者)であった護佐丸によって築かれた城で、北山が滅びた後にもその旧勢力を見張る目的で造営されました。
    5. 勝連城跡:城壁 
       勝連城は、琉球王国の王権が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力な按司であった阿麻和利の居城です。
    6. 中城城跡:二の郭 
       中城城は、琉球王国に対抗していた勝連城主の阿麻和利を牽制するために、座喜味城主であった護佐丸が国王からの命により移り住んだ城です。
    7. 首里城跡:歓会門、正殿 
       首里城は、三山時代は中山国王の居城でしたが、1429年の琉球王国統一後は、1879年に至るまで琉球国王の居城として王国の政治・外交・文化の中心的役割を果たしました。歓会門は、首里城の正門です。正殿は、国王が政務をとり、また、様々な儀式が行われた重要な建物であるといわれており、平成4(1992)年に復元されました。
    8. 識名園:六角堂とアーチ式石橋 
       識名園は、1799年に造営された琉球王家の別邸の庭園で、王族の保養の場として使われただけでなく、中国皇帝の使者である冊封使を接待する場としても使われ、琉球王国の外交面において重要な役割を果たしました。
    9. 斎場御嶽:三庫理 
       斎場御嶽は、尚真が整備した国家的な宗教組織との関係が深い格式の高い御嶽(聖地)で、中央集権的な王権を信仰面、精神面から支える国家的な祭祀の場として重要な役割を果たしました。三庫理は、斎場御嶽内の拝所です。
    10. シート余白部分(背景):
       琉球風俗画帖(部分)(写真提供 沖縄県立博物館)



初日用通信日付印



手押し                 記念押印機



この切手の情報は総務省郵政事業庁の報道発表資料を参照して作成しました。


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